シリーズ:相続の現場から〜ギリギリの遺言書 第六回
遺言書が完成すると、遺言者である田中さんの父親は安堵の表情を浮かべ、私に「ありがとう」と言って手を差し出した。握手した手はとても暖かく、そこに刻み込まれた皴(しわ)には、田中さんの父親の今までの人生が凝縮されているような気がした。
自分が築き上げてきた財産を、自分の死後、愛する子供たちに自分の望み通りに分け与えることができる満足感と安心感が、その表情からうかがうことができた。
ギリギリの遺言書 完
遺言書が完成すると、遺言者である田中さんの父親は安堵の表情を浮かべ、私に「ありがとう」と言って手を差し出した。握手した手はとても暖かく、そこに刻み込まれた皴(しわ)には、田中さんの父親の今までの人生が凝縮されているような気がした。
自分が築き上げてきた財産を、自分の死後、愛する子供たちに自分の望み通りに分け与えることができる満足感と安心感が、その表情からうかがうことができた。
ギリギリの遺言書 完
遺言書作成当日、約束の時間より少し早く着いた私は、田中さんの父親と田中さんが公証役場に入って来るのを見てホッとした。田中さんの父親も体調は良さそうだ。
公証人と遺言者、それに証人である私と司法書士の以上4名がテーブルを挟み向かい合った。まず公証人から遺言者、証人2名の本人確認がなされた。私たち証人2名に対しては運転免許証で確認された。
公証人は私との事前の打合せによってあらかじめ用意してあった遺言書をゆっくりと読み上げ、ひとつづつ丁寧に説明し、遺言者にその内容に間違いがないか質問していった。遺言者である田中さんの父親は、そのたびに「はい、そのとおりです。」と言いながらうなずいていく。
ここで重要なのは、公証人の質問に対して単にうなずくだけでは「遺言者は、遺言をするときにおいてその能力を有していなければならない。(民法963条)」に反するため、田中さんの父親は『遺言能力無し』と判断されて遺言書作成が中止されてしまうのだ。
田中さんの父親は無事全ての質問に答え、公証人は父親の遺言する全ての内容に誤りがないことを承認し、田中さんの父親と証人2名は遺言書に署名押印した。最後に公証人が署名押印し、田中さんの父親の遺言公正証書が完成したのである。
その日公証役場で遺言公正証書を完成させるのに要した時間は、約20分だった。
(つづく)
私は、田中さんの父親の最寄りの公証役場の公証人に、至急公正証書遺言を作成したい、との依頼をした。田中さんの父親の事情を話し、事の緊急性を説明すると、その公証人もスケジュールをやりくりしてくれて、
「早速今日にでも打合せをしましょう。」と申し出てくれた。
そこで私は集めた書類と遺言書の案文をカバンに詰め、K市の公証役場に急いだ。
書類の不足も無く、公証人との打合せも無事に済ませた。その打ち合わせの二日後に、遺言者である田中さんの父親と、(私を含めた)証人2名が公証役場に行き、正式な遺言書を作成することに決まった。
通常、遺言者本人が公正証書遺言を作成する場合には、打合せのために公証役場に何度か通うことになる。私がお手伝いすることで、遺言者が公証役場に行くのは、遺言書を作成する当日のわずか1回で済ませることができる。このことは、特に高齢者で体が不自由な方にとっては大きな負担軽減になるのである。
(つづく)
田中さんの父親が作成することを決めた『公正証書遺言』を作成するには、多くの様々な書類を用意しなければならない。今回必要な書類は、
(1)相続関係を確定させる戸籍謄本
(2)不動産登記簿謄本
(3)不動産の固定資産評価証明書
(4)預貯金の通帳
(5)遺言者を証明する書類(今回は、「健康保険被保険者証」を用意した。)だった。
これらの書類を今回の依頼者であるサラリーマンの田中さんや、その父親のような一般の方が短期間に収集するのは至難の業だ。
また、公正証書遺言を作成するには「証人2名」が必要になる。1人は私が務めることにし、もう1人は司法書士をしている私のビジネスパートナーに依頼することにした。そして書類収集の手配を終えた私はすぐ、遺言者の自宅に近い公証役場に連絡を取った。
必要書類を収集するのに、それから結局5日間かかった。
(つづく)
田中さんの自宅に伺った私は、早速父親と面会をした。
「初めまして、行政書士の竹内です。お父様が遺言書を遺したいということで伺いました。」
名刺を差し出すと、父親は、「遠いところご苦労様です。」名刺を受け取った。
まず私がしなければならないことは、本当に父親が自分の意思で遺言書を作成する意思があるのかどうかの確認をすることだった。もしここで会話につじつまが合わないようだと、この仕事は断らなくてはならない。そこで私は父親と二人きりにしてもらい、残したい遺言の内容を聞くことにした。
父親は複数の不動産を所有しており、その各々を子供たちに相続させ、かつ預貯金も子供に平等に分け、残りの株券などを含めた財産は同居している長男の田中さんに相続させたい、という内容を話してくれた。
声は少し弱々しかったが意思ははっきりしていた。長男の田中さんによると、父親の体調は日によって違いがあるとのことだ。しかし『これならば遺言書を作成することができそうだ』私は確信した。
私が法律に則った形で作成を手伝うことのできる遺言書には『自筆証書遺言』と『公正証書遺言』がある、という説明をし、それぞれの形で作成した場合の内容を話し合った結果、法的にもより確実な『公正証書遺言』を作成することに決めた。私は早速公正証書遺言作成の手配に取りかかった。
(つづく)
このブログではこれまで主に財産相続や遺言書にまつわる法律解説を行ってきましたが、これからは「相続の現場から」と題して、私が実際に受任(仕事を受けること)した遺言・相続に関する仕事の内容や、それをベースにしたフィクションを書いていきます。(なお、行政書士には守秘義務が課せられていますので、話の内容や登場人物は実際とは異なります。)
*************
昼食の最中に携帯が鳴った。電話の主は以前私の相続の講演に参加してくれた田中さんだ。
「急ぎで相談したいのだけど明日にでも会えませんか。」
事情を聞くと同居している父親が遺言書を作りたい、と言っているのだが、ここ最近軽い痴呆の症状が出始めていて、症状が進むと父親の希望通り遺言書の作成ができなくなってしまう、とかなり切迫した電話だった。
民法では、「遺言者は、遺言をするときにおいてその能力を有していなければならない。(民法963条)」と規定されている。つまり痴呆が進行してしまって、自分の意思をはっきりと伝えることができなくないと遺言書は作成することができなくなってしまうのだ。
また、仮にそのような状態で作成された遺言書は、その遺言者の死後に、遺産相続人などその遺言についての法律上の利害関係者から「遺言無効確認」の申立を家庭裁判所にされ、結果その遺言が無効になるおそれもある。
父親の年齢は80歳。一刻の猶予も無い、と判断した私は、早速その日の夜に田中さんの自宅に伺うことを約束した。
(つづく)